第2編 歴史
第4章 近代・現代
第9節 学校教育
 1  教育制度の変遷と町内の概観
(2) 明治時代

五か条の御誓文と学制頒布
 明治元年、維新新政の理念を明示した「五箇条御誓文」が示された。これには「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」、「知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ」などとある。江戸時代の鎖国政策を解いて、西洋文化を取り入れながら、政治・経済・教育・軍事など日本の近代化に向けて踏み出そうという重大な宣言であった。
 その教育面における具体化の1つが、明治5年8月に頒布された学制である。我が国最初の国民教育制度であり、学区・学校・教員・生徒・学資などが細かく規定された。なかでも、学制に添えられた「被仰出書〈おおせいだされしょ〉」に、「自今以後一般に人民華士族農工商及婦女子必ず邑〈むら〉に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」と記され、教育の普及に対する決意と期待が込められている。また、「幼童の子弟は男女の別なく、小学に従事せしめざるものは、其父兄の越度〈おちど〉たるべき事」と、父兄に対して子弟に教育を受けさせるよう明示している。ただし、必ずしも義務づけではなかった。教育は私的なものであるとするのがこの制度の精神とされ、小学校の設立・維持の費用を住民負担にさせる理由となった(『鳥取県史近代/第四巻/社会篇/文化篇』。以下、この節では『鳥取県史』と略称する)。
   
<前頁
次頁>