第2編 歴史
第4章 近代・現代
第9節 学校教育
 1  教育制度の変遷と町内の概観
(2) 明治時代

「学校沿革史」のこと
 町内の各小学校には、沿革史(誌)が保存されている。本節の記述に当たっては、これらの沿革史を参考にした。本論に入る前に、各校の沿革史について触れておきたい。
 舎人・東郷両校沿革史によると、明治22年9月、/河村・久/米・八橋/郡長梶川正温が小学校沿革史編さんの必要性を提唱し、このことを東伯教育会に諮問、同会の決議を経て、各小学校に沿革史の編さんを命じたと述べている。松崎・花見両校の沿革史もこの趣意によって編さんされたものであろう。ただし、松崎校の場合は、明治26年の水害により散失したとあり、年度別の記述は同29年から始まっている。
 沿革史は毎年書き続けられたはずであるが、時に脱落した部分も見られる。例えば、東郷小学校の分では大正9〜14年度が、松崎小学校の分では大正3〜8年度が空白である。また、ところどころ墨で塗りつぶした箇所も見られる。戦後、進駐軍などの指示によって抹消したものであろう。舎人小学校の場合も、長期間の空白があったとみえ、後年になってから竹田小学校(現・三朝町竹田)訓導・谷田亀寿が執筆している。郷土史家でもあった谷田は、大正7年までの7年間、舎人小学校に勤務していた。竹田校に転任したあと、舎人小学校長の依頼によって同校の沿革史の編さんに当たったものと思われる。江戸時代の寺子屋、学校創立時のこと、明治時代の児童の生活ぶりなど、その内容は多岐にわたり、他校に見られない特色となっている。谷田の執筆分は明治38年10月で終わり、「舎人小学校沿革史第一号」に収められている。
 各校沿革史の内容は一定していないが、校長をはじめとする教職員の異動、入学・卒業・在学者数、学校予算、行事などが主体である。東郷校の場合は、明治から大正にかけての毎年の卒業生の氏名を収録している。
 「東郷小学校沿革史」の冒頭には、明治23年1月1日の日付けで、当時の小鹿谷尋常小学校長村尾則利の序文が掲載されている。その末尾に、「若〈も〉シ沿革史ナルモノハ目下ニ必要ナシトスルモ、更ニ幾星霜ヲ経ルニ至ラバ、必ズヤ其必要ヲ感ズルニ至ルベシ。自今以後、本校ニ従事スルモノハ、此主意ニ基キ記録ノ労ニ吝〈やぶさ〉カナランコトヲ深ク希望スル所以ナリ」と、沿革史を書き続けることの重要性を強調している。この言葉の通り、町内各校の沿革史は、学校史を考える上で貴重な資料となった。以下、本節と次節「社会教育」では「東郷小沿革史」などと略称する。
 なお、舎人・松崎両小学校は昭和31年に統合されて、桜小学校となった。両校の沿革史は、桜小学校に保存されている。また、町教育委員会には、後述する東郷実科専修学校の「沿革又ハ重要事項録」が保存されている。沿革史に類するものである。同校の前身ともいえる各村の青年学校の沿革なども収録されている。


舎人小学校沿革史
(桜小学校所蔵)


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