第2編 歴史 第4章 近代・現代 第9節 学校教育 1 教育制度の変遷と町内の概観 (1) 江戸時代 町内の寺子屋 町内の寺子屋については、記録が少なく、詳細は不明であるが、文部省が明治24年に調査した記録には、次の4カ所が挙げられている(県立鳥取図書館所蔵「鳥取県教育史・私塾寺子屋表」)。 いずれも花見地区で、江戸末期の開業である。他地区は、恐らく調査漏れであったと思われる。師匠の矢田、小林は、後にそれぞれ長和田小学校、長江学校の校(学)長になった。また、馬淵は、野花の医者であった。 東郷小学校創立百年記念事業実行委員会発行の『卒業生が語る百年史』には、東郷地区の場合、「高辻神社の社務所で湯浅氏により(寺子屋が)開設された」とある。また、「舎人小学校沿革史」は、舎人地区の寺子屋として、倭文神社神職・米原家の座敷、方地の覚善寺内、方地覚善寺の分庵(野方字「大門」、本庄増蔵宅西方)、漆原の萬(万)福寺内、などを挙げている。しかし、これらを裏付ける資料は残っていない。松崎地区にもあったと思われるが記録がない。 寺子屋のほか、県内では、漢学者や国学者が私宅を開放して教育する私塾や、村内の有力者が学者を迎えて経営した教育機関・郷校などが知られている。いずれも、19世紀の後半ごろから始められたものだが、町内にはなかったようである。 |
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