第2編 歴史 第4章 近代・現代 第8節 道路と交通 2 交通機関 自動車 「立木柳蔵日記」には、明治44年4月25日、「午前十時頃外人養生館に来り自動車にて本村を通過し東行す。自動車の通過これにて三回なるも小生はこれが見始めなり」と記されている。県内でのバス(当時はバスといってもフォード6人乗りホロ型乗用車であった)の運行は、明治45年に米子―法勝寺間が最初であった(『鳥取県史』)から、44年当時はまだ自動車が珍しい時代であったと思われる。 町域内での自動車の営業開始は昭和2年のことであった。小鹿谷の坂田近蔵がフォード1台を購入し、松崎駅前で営業を始めた。主に養生館への客の送迎であったとみられる。その後、坂田は同4年に自動車1台を購入し、2台で営業したという(以上、小鹿谷・坂田晃雄の談による)。同5年に刊行された鉄道省の『温泉案内』には、松崎駅から養生館まで自動車賃15銭、俥〈くるま〉(人力車)賃20銭と紹介されている。 なお、昭和11年当時の東郷・松崎両村内の自動車、自転車などの台数は、資料編132号を参照されたい。 |
|||
|
|||