第2編 歴史
第4章 近代・現代
第8節 道路と交通
 1  道路

湖岸道路の新設
 現・県道倉吉青谷線のうち、松崎一区の桜小学校の登り口付近から、五区の新町川までの区間は、昭和7年に東郷湖面を埋め立てて敷設されたものである(第五節「松崎地区の埋め立て」の項を参照)。当初は湖岸道路と呼ばれた。
 「立木柳蔵日記」によると、湖岸道路の起工式は同年2月3日であった。同年12月1日には完成式が行われている。当時の工事概要を示す資料は残っていないが、現・桜小学校の建つ(注)城山の一部(町営・桜団地の辺り)を切り崩し、その土をトロッコで運んで埋め立てたものである。
 なお、第五節「町域内の埋立申請者」の項で述べたように、新町川から松崎駅前にかけて、現・日交松崎営業所横の駐車場を含む一帯は、昭和7年以前に既に埋め立てられていた。同埋め立て地内にある鶴の湯旅館の創業は昭和6年である。
 (注) 城山と松崎神社後方の山とは、かつて峰続きであったと伝承する。明治の初期までには、人馬がようやく通行できるほどの道が切り通してあったと推定される。前項で述べた明治19年の松崎街道の改修で、舎人地区から松崎に入る道路(現・町道松崎線)が整備されたとみられる。一帯は、今でも「掘り切れ」あるいは「掘り切り」と呼ばれている。


昭和初年の松崎
湖中、直線に見えるのは石がけ。
現在の県道はまだできていない。
(旭・河本一三所蔵の絵はがきによる)


<前頁
次頁>