第2編 歴史 第4章 近代・現代 第7節 商工・金融業 1 商工業 松崎の三八市 松崎の三八市は、昔は「松崎市」あるいは「八月市」と呼ばれていた。稲刈りの準備のためのはで足や竹、そうきびく・おいこ・かごなどの竹製品、鍬〈くわ〉・鎌〈かま〉類、荒物・雑貨・衣料類、野菜・果物が主なものであった。場所は仲町(松崎三区)が中心で、舎人・東郷・花見の人のほか、池向こうの浅津などから舟で買い物に来る人が多かった。相当以前からあったものであろうが、藩政時代の記録は見当たらない。明治19年9月、倉吉警察署橋津分署に、松崎宿惣代及び市場取締人の連名で「当松崎宿において従来の慣例により、毎年九月十八日、二十二日、二十八日、十月三日、七日、十二日に市場開設の許可を受けているが、本年はこれを変更したい」旨の届けが出ているのが初見である。 太平洋戦争下の物資統制のため、昭和18年ごろ、市は自然消滅したという。その後、東郷町が誕生した同28年の10月、松崎商工会などの手で復興し、現在に至っている。当初は、旧暦の8月から9月にかけて、0と5の日に開催されている。三八市の呼称は同32年が初見である(『町報とうごう縮刷版』)。 |
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