第2編 歴史 第4章 近代・現代 第6節 観光 2 観光地づくり 水郷祭の誕生 東郷町の夏の夜を彩る水郷祭は、松崎地区の青年グループ「興松同志会」の手によって戦後始められたものである。この会は、その名が示すとおり地元松崎の発展を期する同志の集まりで、30歳代の復員者を中心に組織されていた。終戦後間もないころから、毎年松崎小学校で演芸大会を開催して、住民に娯楽を提供したのも、その仕事の1つであった。その後、さらに観光の目玉である東郷湖を組み入れて、地元の発展につながる大きな行事をもくろむに至った。 開催日は、梅雨明けごろの7月20日が選ばれた。この日は海の記念日でもあった。東郷湖での漁業の安全と豊漁を湖の神に感謝する意味も含めて、名称を水郷祭と決定した。 第1回の水郷祭は、昭和24年に行われた。旭の日交松崎営業所横の駐車場広場一帯を主会場に、舟こぎ競争、灯籠流し、みこし渡御、魚釣り・演芸・花火・相撲大会などが行われ、露店も立ち並び、大変なにぎわいであった。「立木柳蔵日記」には、この日の模様について、「神輿渡御の儀あり、松明〈たいまつ〉の篝〈かがり〉火夕陽の映え未だ残る湖面にうつり、神楽の音波上を渡りて、実に壮観なりき、…神輿駅前に到着の頃より、煙火(花火)打上げ、十時頃には興松会員七名の傘〈かさ〉踊りあり」と記している。 第2回以後は役場の補助金も認められた。当時、東郷村と松崎村は合併問題で紛糾していたが、組合議会もこの企画には理解を示したという。 浪人踊りは2回目から披露された。水郷祭と、浪人踊りなど羽衣石・南条氏との歴史的な関連が強調されたのは、これ以後のことである。1回目に地元の人たちが家を留守にして多数集まったことから、同志会では火災・盗難防止のため、倉吉警察署に巡回を依頼したという。こうして、水郷祭は町を代表する観光行事に発展し、現在に至っている(以上、松崎・井上豊満の談による)。 |
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