第2編 歴史 第4章 近代・現代 第6節 観光 2 観光地づくり 小鹿谷のスキー場計画 「立木柳蔵日記」によると、昭和11年ごろ、小鹿谷にスキー場を建設する計画があったという。日記には、「小鹿谷ノ番城」、「ヲロケタワ」などの建設予定地が記されている。番域とは、羽衣石城の出城があったとされる羽衣石の番城(標高395メートル)、オロケタワはその北側斜面である。 当時、県内では大山、氷ノ山などにスキー場が開発され、スキーの講習会や大会が開催されている(日本海新聞社刊『鳥取県体育スポーツ史』)。スキー熱が高まるなかで、客の誘致を図ろうとスキー場の建設が検討されたのであろう。立木は、建設予定地の視察や、地ならしの見積もりなどをしたと記録しているが、この計画は実現しなかったとみられる。 |
|