第2編 歴史 第4章 近代・現代 第5節 農林水産業 4 東郷湖の干拓 (1) 明治・大正時代 町域内の埋立申請者 前掲「浅津村村会議決書類」から、町域内の埋立出願者の名を拾うと次のとおりである。 〔宮内村〕福本元三郎 田中増次郎 梅地金蔵 真崎文平 福楽信蔵 寺地岩太郎 福本房蔵 尾崎政吉 〔藤津村〕森田覚次郎 森田覚蔵 奥田勇蔵 中島金治 遠藤光蔵 米原常衛 森田夘太郎 山田久五郎 〔野方村〕佐々木健明 〔長和田村〕神波為蔵 神波久米蔵 鹿田藤三郎 鹿田仙吉 〔野花村〕長谷川米蔵 長谷川豊蔵 山田利三郎 山田利七 山田嘉吉 長谷川恒次郎 長谷川米三郎 〔門田村〕岡本清九朗 岡本政平 岡本弥平 松岡善太郎 前田竹次郎 前田幾蔵 岡本常蔵 岡本源太郎 岡本忠次郎 前田俊三 〔長江村〕音田安蔵 音田光雄 音田権四郎 岡本弥蔵 音田権三郎 〔埴美村〕林重蔵 〔松崎村〕矢田與一郎 矢田甚蔵 更田源次郎 松田春斎 大浜滝蔵 山根房吉 米原為三郎 野口 ![]() 〔引地村〕森定蔵 森甚次郎 森豊蔵 森源次郎 〔田畑村〕益田伝吉 このほか、町域外の氏名は省略するが、上浅津村9人下浅津村11人南谷村5人、宇野村1人など、東郷湖周辺の住民が多い。 桜小学校南側の分譲地(通称「よろず新田」)は、既に明治時代に埋め立てが始まった。その通称名が示すとおり、前期の松崎・万忠三郎(哲夫の曽祖父)が開いたものである。また、野花の湖岸近くには「涌〈わく〉島新田」「米増新田」などの通称名が残っているという。干拓者の名前を冠したものであろう。このほか、田畑の益田伝吉は、大正末期から昭和初期にかけて新町川から龍島にかけての地域を埋め立てたといわれる。引地と小鹿谷の境界付近の山を削り、トロッコで山陰線の東郷川鉄橋の下を通って土砂を運んだという。 |
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