第2編 歴史 第4章 近代・現代 第5節 農林水産業 3 畜産・林業 牛の飼育 藩政時代から、農家では採肥用、農耕用に牛が飼養されてきた。明治3年ごろ、白石村では総戸数28戸のうち14戸が牛を飼育していたことが知られる(前掲「明治三年白石村戸籍」)。普及率50パーセントであって、他村においてもこの程度で普及していたものとみられる。下って、同18年の東郷地区における飼育状況は表67のとおりである。平均60パーセントと増加しており、この傾向は鳥取県の統計と一致する。 『鳥取県史第三巻経済篇』(以下『鳥取県史』と略称する)は、明治31・32年ごろ、牛の農家普及率がピークを迎えたとするが、町域内の状況を示す記録はない。昭和11年版『東郷村松崎村組合村勢要覧』(資料編132号)には、両村内で牛の飼育数215と記録している。当時の農家戸数は374であるから、普及率は57パーセントとなり、前表よりわずかに下降している。 「近世」の章(「松崎の馬市」の項)で述べられたように、藩政時代から松崎では牛馬市がたっていた。戦後まで松崎1区で牛市がたっていたのは、藩政時代からの慣例によるものであろう。 田畑・飛び村常蔵の談によれば、町内の「種牡牛業者」と「博労」(家畜商)は次のとおりであった。 〔種牡牛業者〕 野方の本庄嘉蔵・肇、国信の山根国吉・弥市・仲寿・門田の岡本律蔵 〔博労〕 田畑の飛村常蔵、国信の木山義雄・方地の平岡嘉市・寿千代、国信の山根芳蔵 |
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表67 東郷地区の牛の飼育状況 (明治18年)
(『ふるさと東郷』から) |
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