第2編 歴史 第4章 近代・現代 第5節 農林水産業 1 農業 (4) 果樹栽培 大正期に相次いだ天災 大正時代は、前項の黒斑病に加えて、天災が相次いだ(巻末の年表を参照)。特に同12年4月、ナシの開花中にヒョウと冷たい烈風が吹き、大きな被害を受けたほか、同14年8月には鶏卵代のヒョウと夕立によって落果・裂果が相次ぎ、全滅の状態であった。黒斑病と度重なる天災で、農家は栽培意欲を失い、「倒産」するものが続出したという(『東郷の梨』)。 しかし、パラフィン紙の普及や農林省の補助金獲得などによって、東郷ナシは再び息を吹き返す。このころの状況について「森田ノート」は、2人の談話を記録している。その要約を示す。 谷口定三郎(方面)……黒斑病、ヒョウ、雪害のため、方面の果樹園主のほとんどが栽培に見切りをつけた。栽培を継続したわずかな人たちは、彼らから批判されたり嘲〈ちょう〉笑されたりしたが、私たちはパラフィン袋の研究や、肥料会社などを何回となく視察して、一生懸命努力した。 秋久清二(久見)……黒斑病防除組合を設け、国・県の助成や生産者の負担で、大型噴霧機など購入した。二十世紀ナシには、雨前・雨後に必ず薬剤を散布し、年間20回は励行するよう指導した。これで、ようやく二十世紀ナシの栽培に自信を得た。 こうして、東郷ナシを守ろうとする努力が続けられた。前項「果実の市場出荷」で紹介したように、昭和3年の二十世紀ナシの出荷量が前年の2倍以上、10,000箱を突破しているのは、その努力が実ったあかしであろう。 |
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