第2編 歴史
第4章 近代・現代
第5節 農林水産業
 1  農業
(4) 果樹栽培

大正3年の状況
 大正3年、第8回全国園芸大会が現・倉吉市で開催された。この大会出席者に配布されたのが、前掲「因幡の園芸」であった(『梨沿革史』)。『同書』に紹介された当時の町域内の果樹栽培状況は表57のとおりである。
 果樹の種類別面積では、ナシが半数近くを占めている。またリンゴとモモで40パーセントを超える。この3種が果樹栽培の主体であった。『梨沿革史』は、本県の果樹農業のはしりはリンゴであったとしている。しかし、大正3年に始まった第一次世界大戦の影響で、ドイツからの農薬輸入が途絶え、ガス薫蒸による綿虫の防除が不能になったため、次第にナシ園に転換されたといわれる。
 規模別農家数では、75パーセントが7反未満である。ここでは7反以上の果樹栽培農家を掲げておく(表58)。


表57 大正3年の果樹栽培状況
1種類別面積(単位:ha)
村名/品種
ナシ
リンゴ
モモ
カキ
ミカン
ウメ
ブドウ
東郷村
松崎村組合
7.63
3.7
4.95
0.15
0.1
0
0.15
16.68
花見村
2.45
0.75
0.7
0
0.25
0
0
4.15
舎人村
2.15
0.05
0.78
0.25
2.0
0.7
0.1
6.03
合計(%)
12.23
(45.5)
4.5
(16.8)
6.43
(23.9)
0.4
(1.5)
2.35
(8.7)
0.7
(2.6)
0.25
(1.0)
26.85
(100)

2規模別戸数(単位:戸)
村名/規模
3反未満
3〜7反
7〜10反
10〜15反
15〜20反
30反以上
東郷村
松崎村組合
4
10
1
4
2
1
22
花見村
8
6
1
0
0
0
15
舎人村
2
6
1
1
1
0
11
合計(%)
14
(29.2)
22
(45.8)
3
(6.3)
5
(10.4)
3
(6.3)
1
(2.0)
48
(100)

表58 大正3年の果樹栽培(7反以上)者
種 類
面 積 (町)
住 所
氏 名
モモ
3.0
方面
原田栄蔵
ナシ・リンゴ・モモ・カキ
1.96
久美
更田安左衛門
ナシ・リンゴ・モモ
1.5
方面
伊藤平蔵
ナシ・モモ
1.5
方地
伊藤長蔵
ナシ・リンゴ・モモ
1.2
久見
秋久佐太郎
ナシ・リンゴ・モモ
1.18
小鹿谷
河本 豊
ナシ・ミカン・ウメ
1.05
宮内
真木富三郎
ナシ
1.03
別所
瀬戸善蔵
ナシ・リンゴ・モモ
1.0
中興寺
宇佐美亀蔵
ナシ・リンゴ
0.8
中興寺
有沢竹治
ナシ・モモ
0.7
方地
平岡源六
ナシ・リンゴ・モモ
0.7
野花
長谷川秀蔵


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