第2編 歴史 第4章 近代・現代 第5節 農林水産業 1 農業 (1) 農業の概観 農地委員会と書記 前述したように、農地改革は町村の農地委員会で進められた。 農地委員の第1回選挙は昭和21年12月20日、第2回は24年8月に行われた。第1回の選挙の際、舎人村がリコール運動によるやり直しをしたといわれる(『鳥取県史』)が、その経緯は不明である。委員会の総会では買収・売渡計画、その計画に対する異議申立てなどの議案が話し合われている。その開催数では、花見村の場合、昭和21年12月から25年の10月まで延べ50回を数える。各村の農地委員は名簿篇2号に収録した。定員は10人であったが、東郷村・松崎村組合は当初14人が就任している(「農地等開放実績調査」)。 農地委員会事務局の書記は、各村とも3人ずつ置かれた。その任務は重要で、農地委員とともに農地改革の成否のかぎを握ったといわれる。鳥取県の場合、外地引揚者や復員者など優秀な人材が手近にいたため、書記に選任は順調に進み、農地改革成功の要因になったとされる(『鳥取県史』)。 昭和22年10月、東郷村・松崎村組合の農地委員会が農林大臣表彰を受けた。同委員会の活動実績が特に良好であったのは、書記・野口正彦(松崎四区)の努力が大きかったといわれる。野口の回顧録(県庁内農地委員会鳥取県協議会刊『鳥取県農地改革誌』所収)には、地主と小作の両者を納得させる中正不偏の態度と素養が必要であったこと、幾多の障害を創意工夫によって乗り越え、買収・売渡計画などの作成事務が効率よく進んだことなどが記されている。 また、「農地委員を運営していく上に常に念頭に置かねばならないことは、法的無智な農民大衆と遊離してはならない事である。農民と共に在り、農民と共に生き、農民の代弁者で在り指導者であることを忘れてはならない。罪人を作るのが法ではない、行為を憎みて人を憎まず、正義と人愛の盾の両面を自由に使いこなさなければならない。農民は生一本で純情である」と述べ、農民尊重の農地改革が必要であると強調している。 なお、農地委員会は昭和26年、農業調整委員会・農業改良委員会と統合され、農業委員会となった。旧村時代の農業委員は、名簿篇2号に収録している。 |
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