第2編 歴史
第4章 近代・現代
第5節 農林水産業
 1  農業
(1) 農業の概観

地主と共同倉庫
 第2節の「地券と地租」の項で述べたように、明治6年の地租改正条例によって、米納が金納に改められた。この結果、換金のために大量の米が市場に出回り、同7年から10年にかけて米  大暴落をもたらした。このため困ったのが、地租金納を義務づけられた地主や自作農であった。輸送機関が未発達で、遠隔地に米を運ぶことができず、特に需要の少ない県中部では大量の売買もできない。金融機関もなかった当時、米は滞貨する一方で、換金の方法が全く閉ざされたのである。
 この状況を打開するため明治10年県中部地区の大地主層は、橋津村の官倉の一部を借り受けて共同倉庫を設けた。米穀を倉庫に持ち込んだ者には、これを抵当に金銭の融通をし、貢租金納の便に供した。また、寄託者は市況に応じて、米券(「倉出指図証券」の一種)のまま有利に販売することもできた。いわば、米を買いたたく悪徳商人から共同の利益を守り、農業金融の道を開いたのである。この業務は、後の奨恵社に受け継がれた(『鳥取県史近代第三巻経済篇』などによる)。なお、奨恵社の沿革などは、次節「商工業」を参照されたい。
   
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