第2編 歴史 第4章 近代・現代 第3節 戦争と災害 4 火災と消防 消防組 前述した大正初期の著作「舎人村誌巻上」には、当時同村が定めていた消防組の組織、設備などが記録されている。それによると、組頭1人のほか、各村(大字)ごとに部を設け、小頭を1人、消防手を数10人ずつ置いている。組頭は佐々木健明と記されており、村長の兼務であったとみられる。部員の給与は、1回の消防従事につき、1里以内10銭、1里以上15銭とされている。また、消防手は、主に青年、壮年のなかから身体壮健、品行方正な者を選出したと記されている。各部ごとの消防手、設備などを表46に示した。このうちポンプとは、明治末期になって登場した真ちゅう製の腕用ポンプのことと思われる。空気室を備えおり、間断なく水を飛ばすことができたという(『北条町誌』)。 昭和11年版の「東郷村松崎村組合村勢要覧」(資料編132号)には、公設の消防組として2組(両村ごとと推定)あり、組頭、小頭、消防手合わせて64人であったと記されている。また、公設はガソリンポンプを所有し、私設消防団は11組(東郷村内10部落ごとに1組、松崎村1組と推定)あったことが知られる。私設とは、自衛の消防組織であったとみられる。 消防組の組織は、昭和14年1月の勅令によって「警防団」に吸収された。町村ごとに警防団が設置され、大字又は部落ごとの分団には消防・灯火管制・警報・救護などの班が置かれた。消火訓練など防空演習の任に当たったのである(『鳥取県史近代第二巻政治篇』)。 なお、警防団をはじめ戦中・戦後の消防組織の状況は、町内に記録が少ない。町役場所蔵の「東郷松崎町舎人村・花見村合併関係綴」所収の記録から、昭和28年3月当時の消防器械を紹介しておく。東郷町消防団が編成されたのは、合併後の同年7月であった(『町報とうごう』第3号)。 |
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