第2編 歴史
第4章 近代・現代
第3節 戦争と災害
 3  自然災害

鳥取大地震
 太平洋戦争が激化していた昭和18年9月10日の夕刻、震度6の鳥取大地震が発生した。町内でも強い揺れを感じ、山陰線の上り列車が方地の旧・舎人村役場付近で急停車したまま不通になった。
 町域内の被害状況は、東郷実科専修学校の「沿革又ハ重要事項録」(町教育委員会所蔵)に詳しい。これによると、東郷国民学校(現・東郷小学校)では、門柱1基と石垣約20メートルが倒壊した。また、東郷神杜では、大部分の灯籠と玉垣が倒れ、鳥居の上部が落ちて壊れた。石垣の崩壊は、別所、高辻、国信、小鹿谷などでも見られた。別所の佐和谷橋付近では、大規模な山崩れが起き、土砂が道路と谷川を越えて水田を埋めた。また、松崎駅前の旅館などでは、軒並みに半壊した。このほか、小鹿谷の伝承によると、10日の午後、数家族ずつが竹やぶに避難したが、夜7時ごろから激しい雷雨に見舞われ、執拗〈よう〉に繰り返される余震とで、恐れおののいたという。また、東郷国民学校の校庭が、直径10メートルがほど陥没したといわれる。
 出荷の初期にあたっていたナシ園では、約80パーセントが落果する大きな被害を受けた。山陰線が不通になるなど輸送も不能となり、ほとんど市場出荷ができなかった(前掲『東郷の梨』)。また「立木柳蔵日記」は9月14日「(9月10日鳥取大地震にて)温泉湧出量半分となりたり」と記している。


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