第2編 歴史
第4章 近代・現代
第3節 戦争と災害
 2  学童疎開

児童の集団疎開
 日本本土への空襲が激しさを増した昭和19年6月、政府は「国民学校初等科児童ノ疎開ヲ強度ニ促進スル」ことを閣議決定した。これによって、大都市や軍事基地、軍需工場のある都市部の児童の集団疎開が強化されることになった。いわゆる学童疎開である。疎開すべきであるとの指示を受けた都市は、東京都の区部と、横浜・川崎・横須賀・大阪・神戸・尼崎・名古屋・門司・小倉・戸畑・若松・京都・舞鶴・広島・呉であった。疎開先は、地方の旅館や寺院などが多かった。教師が引率し、これに寮母や作業員が付き添った。疎開先の学校の教室や寺院、農舎などを利用して、引率教師が教育を行った。こうした疎開児童の数は、全国でおおよそ45万人と推定されている。

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