第2編 歴史 第4章 近代・現代 第2節 財政と村政 2 主要な村政 (3) 移住の奨励 ブラジル移住 県人の海外への渡航者数は、日露戦争後に急増し、大正・昭和にかけて漸増したという。特に、大正13年に着任した白上佑吉知事は、ブラジル移住に積極的であったといわれ、同15年には「鳥取県海外協会」が設けられた。同会では、ブラジルに土地を購入し、県関係の希望者などに分譲したり、低利貸付金制度を設けたりして、渡航を奨励した(前掲『鳥取県史』)。 鳥取県海外協会刊の『在伯鳥取県人発展史』によって、町内からブラジルに移住した人の氏名と家族数などを掲げておく。 ブラジル移住者 移住年月 氏名(移住当時の年齢) 出身地 家族数(本人を含む) 大正3年4月 寺地市蔵(36) 舎人村 5 〃 7年9月 戸崎三郎(12) 〃 1(実姉の家族に同伴) 〃 13年8月 前田貞蔵(37) 花見村 7 昭和2年7月 山本竜蔵(44) 東郷村 7 〃 4年12月 田中元保(37) 花見村 7 〃 7年3月 河本 豊(44) 東郷村 4 〃 田中喜男(28) 〃 5 〃 10年3月 伊藤増雄(30) 舎人村 8 〃 15年4月 伊藤源蔵(50) 〃 5 なお、桜小学校所蔵の「舎人小学校沿革史」には、前記の寺地市蔵とともにブラジルに移住した二女、敏子(当時10歳)が、同校教諭・谷田亀寿に送ったはがきの文面が次のとおり記録されている。日付は大正3年3月8日、発信地は神戸市である。 一筆謹んで申し上げます。此の間はせんべつまで下さいまして有難とう存じます。私はこゝを十日に立って五十日ほど船に乗ります。あなたはごぶじですか。うちのものは皆まめんです。之れからめづらしいことがあればお知らせします。私の乗る船は今港に来てゐます。乗組人員は二千人だそうです。神戸では電車も通れば自動車も通ります。 |
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