第2編 歴史 第4章 近代・現代 第2節 財政と村政 2 主要な村政 (2) 社会福祉 花見村の授産所経営 戦後、長和田で花見村営の瓦〈かわら〉工場(授産場)が開設された。これは、花見更生寮が国の資金を受けて、授産場を開設し、戦争の引き揚げ者に仕事を与え、救済に当たったものである。場所は、現・倉吉警察署長和田駐在所の裏から、安井増男宅辺りの一帯であった。12基の登り窯が設けられ、昭和24年の秋、初窯の火が点じられた。 原料は、長和田字「才の谷」の真砂土粘土、門田字「岡崎」の赤土粘土、倉吉市下米積の真砂土などが使われた。茶褐色と青灰色の2種類の粘土を7対3ぐらいの割合で混ぜ、1,500度程度の温度で焼き、島根県温泉津町から仕入れた釉〈うわ〉薬で仕上げたという。その技術は、鳥取市津ノ井や倉吉市米里の瓦工場などから指導を受けた。つやがあり、丈夫なことが特徴であった。 製品は、花見村の周辺で販売された。今は葺〈ふ〉き替えられて見ることができないが、花見小学校や花見保育所、引地・大伝寺の本堂、長和田・長伝寺の開山堂などの屋根瓦に使用されていた。 昭和34年1月30日、粘土不足並びに薪〈まき〉(松)の不足のため閉鎖された。 |
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![]() 花見授産場の瓦製造風景 (倉吉市・鹿田智恵子提供) |
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