第2編 歴史 第4章 近代・現代 第2節 財政と村政 2 主要な村政 (2) 社会福祉 貧困者の救済 明治7年、政府は「恤救〈じゅつきゅう〉規則」を定め、身寄りのない老人や、年少者、病人などの生活困窮者に、官費で米・金を支給することにした。しかし、受給資格が厳しく制限され、その恩恵を受けるものは少なかった。そこで、民間の有志者による救済団体が生まれた。同14年12月、橋津村(現・羽合町)に創立された奨恵社もその1つで、倉庫業や金融業などで生じた余剰金を、河村郡内の窮民や罹〈り〉災者などへの救助費に充てた(鳥取県刊『百年の年輸』)。 同社の刊行した『奨恵社五十年史』によると、窮民救助の方法は、「救恤米は一日一人につき二合乃至三合とす」、「救恤米は本人の都合に依り時価に換算して之を救与することあり」、「出生後母乳乏しき嬰〈えい〉児には乳米を給与す」などがある。明治15年から34年までの20年間で、貧民2,522人を救助し、その給与は米140石余、金134円余であったという。 同社では、このほか貧民への施薬(施薬券を発行し、後日、同社が負担)や、出征軍人家族のための戦時臨時救助なども行っている。 なお、奨恵社の倉庫業、金融業などは「農林水産業」、「商工業」の各節を参照されたい。 大正時代には、前述した同7年度の舎人村予算書に、貧困者への救助費が計上されている。奨恵社からの寄付金などを財源にしたものである。 このほか、明治から昭和期にかけて、日本赤十字社、(注)済生会などの貧困患者に対する施療が知られる(前掲『鳥取県史』)。町役場所蔵の『昭和十一年版・東郷村松崎村組合村勢要覧』(資料編132号)には、当時の救済団体である日本赤十字社・愛国婦人会に加入した組合村内の会員数、並びに済生会が当年中に交付した治療券を53枚と記録している。 (注)貧民に対する医療救済を目的として、明治44年に天皇の下賜金と民間資金によって設立された財団法人。 |
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