第2編 歴史
第4章 近代・現代
第2節 財政と村政
 1  旧村時代の税制と財政

民等位数
 各戸の貧富によるランク付けは、藩政時代から行われていた。安政5年(1858)、藩は在中各戸について、「宛〈あて〉口の多寡・収入の程度・余業の有無」による貧富に応じ、各戸を上ノ上・上ノ中・上ノ下・中ノ上・中ノ中・中ノ下・下ノ上・下ノ中・下ノ下の9段階にランク付けをするよう指令している(『鳥取藩史民政志』)。例えば、慶応2年(1866)当時の別所村におけるランクは、次のとおりである。
  中ノ上 1戸  中ノ中 2戸  中ノ下 4戸
  下ノ上 8戸  下ノ中 3戸  下ノ下 18戸(計36戸)
  (「御改正組合帳」別所・西田陽二所蔵)
 上の段階にランクされる家はなく、半数は「下ノ下」であるが、具体的に何を基準にしたかは不明である。
 下って、明治6年、県が布告した「民費章程」は、貧富等級の位数と前記9段階を次のように組み合わせている。
  上ノ上 20位  上ノ中 17位  上ノ下 14位
  中ノ上 10位  中ノ中 7位半  中ノ下  5位
  下ノ上  3位  下ノ中  2位  下ノ下  1位
 農業者の1位は、持高4石を基準にしている。したがって、「上ノ上」は持高80石、「下ノ下」は4石である。
 さらに明治20年、県は一般民等位数設置の方法概則を布告し、「資産百円ヲ以テ一位ノ標的トシ」各戸長役場ごとに民等位数を組織し、県の承認を得るよう通達している。これによって、各戸長役場は民等位数を組織して上申したが、松崎宿外12か村戸長役場をはじめ、12か所の戸長役場の提出した民等位数は、「無位戸数許多ニ付、再議ニ付シ上申」するよう指導されている事例がある。無位すなわち担税力のない者が多かったのである。


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