2編 歴史

3章 近世

6節 近世の文化

3 文化人の来訪

 

当地を測量した伊能忠敬

 伊藤忠敬(ただたか)は、江戸時代後期の地理学者・測量家として知られる。幕府の命によって蝦夷(えぞ)(北海道)をはじめ全国を測量し、我が国最初の実測地図を作成した。

 文化3年(1806)8月、出雲から伯耆に入った忠敬らの測量隊の一行は、西から東に、主として海岸線を測量して因幡に入っている。

 忠敬が東郷町域に入ったのは文化10年(1813)である。西から再び伯耆に入った忠敬は東進し、閏11月17日には、倉吉・三明寺村・田内村・上井村・山根村を測量しながら通過し、知坂峠を越えて埴見村に至り、長和田村・門田村・長江村・浅津村を測量して橋津村に止宿している。

 18日は、東郷池北辺・倭文神社周辺を測量し、再度橋津に止宿した。

 19日は、橋津村を出発して宮内村・藤津村・松崎村・中興寺村・引地村・野花村・長和田村を測量し、東郷池周辺の測量を終わった。東郷池1周2里30丁と記録している。この日は倉吉に止宿し、翌日、三徳の谷を測量しながら鹿野・鳥取を経由し、津山に至っている(主として青谷町・坂根善男の提供資料による)。