2編 歴史

3章 近世

6節 近世の文化

3 文化人の来訪

 

羽衣石城を詠じた広瀬旭荘

 広瀬旭荘(1807〜1863)は豊後国(大分県)日田の生まれで、兄淡窓と共に江戸時代末期の儒学者・詩人として著名である。旭荘は嘉永7年(1854)8月下旬、作州(岡山県)から竹田川沿いに伯耆に入り、倉吉を経て西に向かっている。羽衣石に立ち寄ったとの記録はないが、次の詩を残していることから、羽衣石の城山に登ったものと推察される。

 なお、旭荘には「梅墩(とん)詩鈔」などの詩集があるが、この詩は収録されていない。


広瀬旭荘筆「羽衣石城址」
(別所・浅田良市所蔵)

(注)

  () 悲しんで心の乱れるさま。

  () 大山を指す。

  () 北海は日本海、東湖は東郷池を指す。

  () 花見や月見の宴。

  () うまい食べもの、珍しい料理。

  () 南条氏から離反した山田出雲守などを指す。

  () 罪をとがめられること。

  () 兵士が攻め入ること。

  () 戦場の空の殺気をはらむ雲。

  (10) さっと吹く風の音。

  (11) 取り巻くこと。

  (12) ゆったりと落ち着いたさま。

  (13) こりの老人。