第2編 歴史 第2章 中世 第5節 中世の信仰・その他 東郷池周辺の浄土真宗 戦国時代の初頭、羽衣石の僧が浄土真宗に改宗し、香宝寺(羽合町下浅津)の開基となったという伝承がある。香宝寺の縁起に、「松風山香宝寺草創ハ、人皇百四代後柏原院御宇、永正元年(1504)開基慈眼堂廓道法師、俗称ハ上杉兵部大輔、出家シテ廓道トイウ。伯州羽衣石城ノ主、南条家ノ祈願所、慶相寺(景宗寺)ノ住務タリ。然ルニ心願アリテ伊勢大神宮エ参詣ノ節、城州(京都)山科〈しな〉ニテ本願寺蓮如上人ニ謁シ、出離ノ要法ヲ問答シ、終ニ弟子トナリ、六字名号授与ニ預リ、帰国ノ上、慶相寺住務ヲ遁〈のが〉レテ浅津ニ住居シ、常ニ念仏シテ時衆ヲ導キ、当国真宗最初ノ道場ノ趣伝承仕リ候(下略)」とある。 蓮如は、浄土真宗中興の祖と呼ばれる。応仁の乱がほぼ終わった文明11年(1479)ごろ、京都山科に本願寺を創立した。宗勢の拡張に意をもちい、他宗の僧徒に改宗を促して浄土真宗に引き入れたといわれる。松崎の法林寺にも香宝寺と同様な伝承があり(次編「宗教法人」の章参照)、東郷池周辺の浄土真宗は、このころから次第に広まったものと察せられる。 |
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