第2編 歴史 第2章 中世 第5節 中世の信仰・その他 海上他界信仰 我が国では、古くから死んだ人の霊魂は人間のたやすく行くことのできない深山の中とか、海上はるかかなたの場所とかに集まると考えられていた。後者は海上他界信仰といわれ、伯耆では、特に海岸地帯において盛んであった。羽合町浅津で、今でも墓をつくらないのは、古代・中世に死者を水葬にした風習を現代に伝えるものである。同地区では、東郷池のほとりのヒヤと称する火葬場で死者を火葬にしたあと、骨や灰はヒヤのすぐ下の小川を通して東郷池に流してしまい、墓は一切つくらない。なぜなら浅津では、死者の霊魂は東郷池を通過して、日本海のはるかかなたにある他界へ行くと信じられていたからである。 引地の大伝寺は、その山号の九品〈くほん〉山の名で近在に知られている。これは天台浄土教で浄土を上中下の3段階に分け、その3段階を更に上中下に3分して全体で9段階の浄土があるとし、死者は生前の行為により、それぞれの段階の浄土に往生することを説く九品浄土説に基づいている。また、大伝寺では盆や彼岸にこの世に戻ってきた死者の霊魂を、舟に乗せてあの世に送り返してやる精霊舟流しや、極楽浄土から阿弥陀仏が二十五菩薩〈ぼさつ〉を従えて死者を迎えにやってくるさまを演ずる二十五菩薩練供養を今でも行っている。これらのことから、東郷池周辺には海上他界信仰があって、古くは大伝寺がそれをつかさどる天台浄土教の寺院であったことは明らかである(この項は『鳥取県史』から引用した)。 |
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