第2編 歴史 第2章 中世 第4節 豊臣政権下の南条氏 南条領の確定 上方と毛利氏との境界設定交渉は非常に難航したという。さきに備中高松城落城の際、織田と毛利の間で一応の協定はできていたが、信長の死没したあと毛利側としては、その協定による制約は受けないとの立場をとったからであるといわれる。しかし、数度にわたる交渉の後、天正13年(1585)ようやく解決した。山陰では伯耆の西3郡(汗入・会見・日野)に八橋城を加えて毛利方とした。したがって豊臣方は八橋城を除く東3郡(河村・久米・八橋)となり、秀吉から南条氏に与えられた。 |
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