第二編 歴史 第二章 中世 第三節 室町・戦国時代 二 戦国時代の郷土 (二) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏 南条氏の帰国 南条元続はその後、秀吉を頼んで羽衣石城に帰ることができた。その時期は天正11年(1583)11月から翌年7月までの間と推定できる。その理由は、天正11年(推定)11月12日付け蜂須賀正勝書状に、「近日南条殿帰国の事に候間(後略)」(資料編29号)と、この時点では南条氏はまだ帰国していないことを示している。さらに、同12年(推定)7月7日付けの同じく蜂須賀正勝書状(資料編30号)は内容から推して、羽衣石に帰城した南条氏にあてたものである。 このように考えると、同11年3月に吉川元春・元長父子が連名で小鹿谷の東郷八幡宮に制札(禁令の箇条を記した立て札)を立てたのも理解できる(資料編13号)。11年3月当時は、この地方はまだ吉川氏の支配下にあったのである。 |
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