第2編 歴史 第2章 中世 第3節 室町・戦国時代 2 戦国時代の郷土 (2) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏 羽衣石の落城 天正10年6月2日、本能寺の変が起こり、信長が討たれた。この風評は時を経ずして羽衣石城中にも達したと思われる。城中は動揺・混乱したに相違ない。『陰徳太平記』によれば、南条の家臣進藤勘介・秋里目〈さかん〉以下13名は、高野宮城にいた山田重直に内通していたと記している。9月23日は因幡との国境にある神杜(漆原の国主神杜は当時泊村筒地にあった。その神杜とする説がある)の祭日で、羽衣石城の諸士は連れ立って参拝した。そのすきをねらい、内通していた南条の家臣が一斉に火を放つと同時に、山田重直・信直父子が手勢300余人を率い大手口から攻めかかった。小森和泉守(木工允の誤りか)は居城が少し遠かったので、半時(1時間)ばかり遅れて搦手〈からめて〉から羽衣石城を攻撃した。南条方はついに崩れ、元続はわずか郎党4、5人を連れて播州(一説には京都)に走った。こうして重直は羽衣石城に入り、東伯耆も毛利方の支配するところとなった。 |
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