第2編 歴史 第2章 中世 第3節 室町・戦国時代 2 戦国時代の郷土 (2) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏 天正10年以降の情勢 翌天正10年(1582)正月、元春は嫡子元長を伴って安芸を出発し2月初旬八橋に入城、因幡の攻略に向かった。まず大崎城(気高町)を手始めに諸城を陥れ、八橋に帰陣した。この間、伯耆でも南条氏としばしば合戦を繰り返した。妙見山城(東伯町大杉)は南条氏の出城で、毛利方の八橋城に対し備えた布陣であった。元春に対して、羽衣石から元続自身が出向いて備えた。そこで元春は太一垣城(赤碕町)の森脇越後守に命じて妙見山城を攻撃させた。これに対し、元続も自ら突いて出て激しい攻防戦を展開したが、ついに城を乗っ取られてしまった。元続はその後も赤碕方面に進出して吉川勢に戦いを挑んでいる(『鳥取県史』資料篇107号「秋里新左衛門申状」、『東伯町誌』)。 元春はこののち、秀吉の備中高松城水攻めに対抗するため、山田重直・杉原元盛らを南条氏に備えて伯耆に残し、自らは主力を率い備中に向かった。 |
|