第2編 歴史
第2章 中世
第3節 室町・戦国時代
 2  戦国時代の郷土
(2) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏

南条勢の士気低下
 南条方としては、秀吉の軍勢が吉川勢を攻め滅ぼしてくれるものと期待していた。しかし、期待に反し秀吉軍は早々に撤退してしまった。もともと、鳥取城の兵糧攻めの影響を受けて、羽衣石城・鹿野城なども食糧不足の状態にあったが、秀吉の撤退で南条勢の士気は更に著しく低下した。年未詳の11月30日付けで、毛利輝元が家臣にあてた書状に、
(前略)羽衣石の事、上衆(秀吉勢)引退候に付て、以っての外相弱まり候、随分の者共、日々夜々取退き候(後略)
 (資料編50号)
と、羽衣石城では脱走する者が相次いだことを報じている。


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