第2編 歴史 第2章 中世 第3節 室町・戦国時代 2 戦国時代の郷土 (2) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏 秀吉・元春雪の対陣 そこに南条・小鴨氏から、元春が馬ノ山に着陣し羽衣石城の攻撃にかかるからと、助勢を頼んできたので秀吉は承諾した。こうして10月27日、秀吉は御冠山(宮内)に着陣し、馬ノ山の吉川元春と対陣した。雪中の対陣であったといわれる。秀吉の軍勢は3万とも4万5,000とも、あるいは8万ともいわれるが、吉川勢はわずか6,000。しかし、鳥取落城の悲報に接し、経家の弔い合戦と決死の覚悟で意気盛んであった。これを見てとった秀吉は、いたずらに血戦して将兵を犠牲にすることを避け、羽衣石城に糧食・弾薬を補給することにし、峰伝いに輸送を始めた。元春はこれを知り、松崎付近まで部下を出撃させ妨害を加えた。このあたりの状況描写は『陰徳太平記』に詳しい。秀吉は輸送を完了したので、蜂須賀小六正勝らを残して元春の進出に備え、10月29日御冠山を引き払った。元春父子も小寺又三郎を馬ノ山の守備に残し、11月1日主力を率いて帰陣した。結局、両軍の主力は衝突することなく撤退したのである。 |
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