第2編 歴史
第2章 中世
第3節 室町・戦国時代
 2  戦国時代の郷土
(2) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏

小森氏の上山攻撃
 『羽衣石南条記』によれば、この年9月、南条の与力で松崎城を預かっていた小森和泉守方高は八橋の杉原元盛の誘いに乗り、南条に謀反を企てたと記す。前述したように、彼は吉川元春によって、「羽衣石付城」としての松崎城に配置されたことになっている。おそらく、南条の配下として松崎城に配置されていたのが、そのまま吉川氏に服従したものと思われる。
 「謀反」の語が適切かどうか異論もあろうが、その手始めに小森氏は小鹿谷の上山の砦を守っていた南条方・進の下総の陣所に夜討ちをかけたが、その情報が事前に南条方にもれていたため、かえって敗戦となり討ち死した。小森の所領であった町内別所の住民がその遺体をもらいうけて葬ったという。今も小森の墓と伝承される墓所が別所にある。松崎城には代わりに進の下総が城将として置かれたと述べられている。しかし、翌9年秀吉が御冠山に陣取った当時の松崎城主は小森木工允に変わっている(『陰徳太平記』)。



伝・小森の墓(別所)

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