第2編 歴史
第2章 中世
第3節 室町・戦国時代
 2  戦国時代の郷土
(2) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏

南条氏の社領寄進
 羽衣石城は前述のとおり、永禄5年(1562)以降、引き続き南条氏により維持されていた。
元亀元年(1570)12月13日付け、東郷新八幡宮社領寄進状写(資料編12号)は南条氏のものと推定される。また、「南条宗勝安堵状写」によれば、同年南条宗勝は廃絶していた一ノ宮の神領を復旧している。この時期、南条氏は当地方の実権者として寺社領を安堵・寄進することにより、人心を収〈しゅうらん〉し、併せて家運の隆盛を願ったものと思われる(資料編67号)。
 なお、いつごろのことか定かでないが、南条氏は一ノ宮に参詣する際、当時の藤津から一ノ宮に至る通常経路を一部外れて、間道を通ったといわれる。通常の経路を通ると神主屋敷(国造屋敷ともいわれる)前を通過するため、南条氏も下馬することを要したので、それを嫌ってのことと地元宮内では伝承している。その部分は「南条道」と呼ばれ、神主屋敷の後ろを通る近道である。

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