第2編 歴史 第2章 中世 第3節 室町・戦国時代 2 戦国時代の郷土 (2) 毛利氏の東伯耆支配と南条氏 毛利氏の興隆 毛利氏はもと安芸国(広島県)吉田庄の地頭であったが、郡山城によって次第に勢力を増した。毛利元就は尼子・大内の2大勢力の対立する中にあって大内氏と結び、尼子側と対抗しつつ芸・備の国人衆を次々に傘下に収めた。特に、二男元春を吉川氏に、三男隆景を小早川氏に養子としておくり、同盟関係を固めている。 天文10年(1541)、郡山城を攻撃した尼子の大軍を撃破してから、元就は漸次中国地方の諸国を平定していった。 永禄9年(1566)に至り、山陰の雄尼子氏もついに毛利氏に下り、毛利氏は出雲富田城を収めた。これより先、東伯耆では同五年ごろから毛利氏の勢力が及んでいた。毛利氏は伯耆を二分して、東伯耆を南条宗勝に、西伯耆を杉原盛重に統治させた。 |
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