第2編 歴史
第2章 中世
第3節 室町・戦国時代
 2  戦国時代の郷土
(1) 尼子氏の進出と南条氏

南条宗鑑
 戦国時代の中期、京都に南条宗鑑と名乗る医者がいた。伯耆の人で、号を一軒といい、婦人科の名医と伝えられている。20歳のころ京都に出て医術を学び、その後修行のため各地を巡歴して諸家の治療方法を研修し、診断の妙を会得して一時帰郷し、開業していたという。その後再び上京し、京都の地で婦人科を開業、傍ら医書の研究に入り、名医として京洛の地に知られた。彼が天文15年(1546)に著述した『撰集婦人方〈せんじゅうふじんほう〉』3巻は、我が国最初の婦人科専門医書とされ、産婦人科専門化の端緒となった。その子宗虎も医をよくし、豊臣氏に招かれて医官になったという(森納『因伯の医師たち』、平凡社『新撰大人名辞典』)。
 宗鑑が羽衣石南条氏とどのような関係にあったのか明らかではないが、このころまでの羽衣石南条氏は「宗」の一字を通し字としているから、南条一族である可能性が強い。


<前頁
次頁>