第2編 歴史 第2章 中世 第2節 鎌倉・南北朝時代 4 南条氏と羽衣石城 南条貞宗の死没 『伯耆民談記』によれば、南条貞宗の死没を明徳2年(1391)としている。十万寺に葬ったものと思われる。一説には、この年を没年とせず、仏門に入った年とする。定光寺(倉吉市)に伝わる縁起には、貞宗の法名を「南条伯耆守霊光院殿像外源賛大居士」としている。 また、京都相国寺の塔頭光源院に伝わる文書によれば、山名氏之(時氏の孫)の法名を「大膳大夫氏之霊光院殿象外源賛大禅定門」と記している(『鳥取県史』所収)。この混同によって、沙弥源賛の署名がある寄進状(定光寺文書)を、南条貞宗のものとする説と山名氏之のものとする説が生じている。 |
|