第2編 歴史
第2章 中世
第2節 鎌倉・南北朝時代
 4  南条氏と羽衣石城

南条氏の居館
 羽衣石城は戦時にたてこもる城であり、平時における南条氏の居館は別にあったと考えられる。その場所については諸説がある。
 (1) 前項羽衣石城跡概念図、10の曲輪とする説
 (2) 鳥羽屋敷・豊嶋屋敷などの通称地名が残る本谷・中村辺りとする説
 (3) 長和田字「六万垣」に南条氏の下屋敷があったとする伝承
 思うに、居館の場所は時代と共に変わっているのではなかろうか。
南北朝から室町時代初期における領主の居館は、一般的に本丸に近い場所にあったとされているから、(1)の場所も十分考えられる。少なくとも本谷・中村に重臣たちが居住していた時代の領主の居館は、それらより城に近い場所にあったとみるのが自然であろう。この時代に領主の居館だけが飛び離れて、長和田にあったとは考えにくい。
 (2)の本谷・中村は、羽衣石の城山に通じる道路を占める要地である。付近には馬場・赤屋敷・堀切などの地名も検出され、重臣たちの屋敷名も通称で残っている。伝承はないが、城主の居館があったとしても当然と思われる地域である。
 (3)はおそらく中世末期になってからの居館と推定するのが妥当ではなかろうか。「六万垣」は現在の長伝寺の辺りである。
 要するに一か所に限定しないで、その時代に要求された条件が考慮され、次第に変わっていったものとみたい。



白石の城山遠望


図26 羽石衣谷略図
(括弧を付したものは通称名)

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