第2編 歴史
第2章 中世
第2節 鎌倉・南北朝時代
 4  南条氏と羽衣石城

南条氏と尼子氏
 尼子氏は近江源氏佐々木氏の一族で、近江の守護京極高秀の子高久が同国犬上郡尼子庄に住み尼子氏を称したのを始まりとする。後年、出雲の富田城を本拠として守護大名に成長し、南条氏ともしばしば戦いを繰り返すに至る。
 『新雲陽軍実記(注)』は、高久は高秀の実子ではなく、塩谷高貞の二男を高秀が子として養育したとする説を併記している。
 また、前掲の「羽衣石南条系図」によれば、南条初代貞宗の3男を尼子右衛門尉経時と記し、「雲州尼子経久この末葉なり」と注記している。共に、尼子氏が塩谷氏ひいては南条氏と縁故があったことを示唆するものであろう。
 (注) 天正8年(1580)、尼子晴久の臣・河本大八が著した『雲陽軍実記』を妹尾豊三郎が口語体に書き直したもの。昭和48年刊。



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