第2編 歴史
第2章 中世
第2節 鎌倉・南北朝時代
 2  東郷氏と東郷荘

東郷氏と東郷荘
 東郷氏が初めて河村東郡司として入国してから、次第に実力を養って在地名を名乗る在地領主になり、さらに三朝郷などの地頭職を得たと、この系図は語っている。
 東郷氏を東郷荘の地頭とする説があるが、系図にはその記事はない。少なくとも長和田を京都の松尾社に寄進した信平の時代は、東郷荘地頭ではあり得ない。地頭が、対抗関係にある荘園領主に所領を寄進するとは考えにくいからである。むしろこの時期、東郷氏は松尾社東郷荘の荘官であった可能性の方が大きい。寄進という行為によって、寄進者はその地の荘官に任命され、勢力を維持し得たことは前述のとおりである。また、先に触れたように、信平の子信康(法名阿)を東郷荘絵図の裏書に署名した沙弥に比定する説を採ると、沙弥は松尾社側の使者であり(西岡虎之助の説、「絵図の裏書」の項参照)、荘官説に有利となる。
 いずれにしても、東郷氏が東郷荘内における豪族であったことに異論はなかろう。


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