第2編 歴史
第2章 中世
第2節 鎌倉・南北朝時代
 2  東郷氏と東郷荘

初めて東郷氏を称した家平
 俊平=小四郎、法名観祐、金人庄堀内墓これあり。
 家平=東郷太郎左衛門尉、伯州東郷内和田墓これあり。治承三年二月廿二日、当国ツホカミ山にして野津蔵
 人仲吉・小鴨介基保に討たれ了〈おわんぬ〉。
 俊兼=太郎左衛門尉、治承時、家平同討死し了。
 俊家=治承三年二月、家平同時討死し了。
 俊平は義平の次子で、その子家平は俊兼・俊家兄弟といとこの関係にある。家平に至り、現住地の地名をとり「東郷」氏を名乗っている。「東郷」の地名は、一ノ宮経塚から出土した経筒の銘文にあり、既に康和5年(1103)以前からあったことが知られる。
 種頼が河村東郡司として伯耆に入国して以来5代目になって、在地名「東郷」を姓とするにふさわしい実力を備えてきたものとみたい。俊兼・俊家の注記の記入ぶりから、家平が原田一統の主導的立場にあったように察せられる。


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