第2編 歴史
第2章 中世
第2節 鎌倉・南北朝時代
 2  東郷氏と東郷荘

長畝に葬られた勝範
 勝範は義平の子である。
 勝範=原田号福禅師、伯州東郷長畝墓これあり。
 『羽合町史』は「長畝」を「長瀬」に比定しているが、これには賛成できない。時代はおよそ100年ほど下るが、前節で述べた東郷荘絵図によれば、長瀬は北条郷に属し「東郷長瀬」とはいえない。長畝は「ながうね」と読んで小鹿谷に比定するのが適当であろう。現在の小鹿谷字「長峯」は、明治初年までは字「長宇根〈ながうね〉」と表示されている(「明治三年河村郡上ア村田畑字寄地続絵図」別所・西田陽二所蔵)。しかし、五輪などの墓石はまだ発見されていない。


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