第2編 歴史 第2章 中世 第2節 鎌倉・南北朝時代 2 東郷氏と東郷荘 河村東郡司種頼 次に、系図の名前の傍らに書き込まれた注記事項について検討してみたい。郷土の歴史にかかわりをもつ注記の見えるのは、種頼以降である。 種頼=同名(原田)余一太夫、伯耆守、伯州河村東郡司、これより末葉伯州にあり。 「河村東」すなわち現在の東郷町・羽合町・泊村の範囲の郡司として入国したことになっているが、その経緯は不明である。また、この記述では伯耆に移った時期を明らかにすることができないが、種頼はおおよそ藤原氏が中央で勢威を誇っていた11世紀の中ごろの人と推定される。 頼平=散位、この時私領を以って、冷泉院宮北の政所に寄し奉る(進、脱カ)。今、笏賀庄是なり。 種頼の孫頼平が私領の笏賀の庄(現在の泊村)を冷泉院宮北の政所に寄進している。寄進については後述する。 義平=散位、伯州東郷梧桐ア墓これあり。 梧桐アの地名は残っていないが、『羽合町史』は、現在の桜小学校のある松崎の城山に比定し、ここに近年まで大きい五輪塔があったと記している。 |
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