第2編 歴史 第2章 中世 第2節 鎌倉・南北朝時代 2 東郷氏と東郷荘 系図成立の時期 系図を写真で見る限り、終始同一人の筆跡のようである。1200、300年にもわたる系図であるから、次々に追加して記入されたり、あるいは損傷などにより最初から書き直されたことも一再ならずあったに相違ない。 この系図が同一人の筆になるとすれば、最終の人「正種」が宝永8年(1711)の死亡であるから、それ以後に全文が書き直されたことになる。おそらくその際に、寛永6年(1629)に死去した4代前の「政則」以後が追加されたのではなかろうか。注記の内容を見ると、この時から没年と没年齢が記入されている点、死を「薨〈こう〉」と表す点が、それ以前(討死の場合に限り没年のみ記入)と異なっているからである。したがって、この系図の直接基になった系図は一七世紀の初期、すなわち江戸時代に入るころには成立していたとみることができる。 |
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