第2編 歴史
第2章 中世
第2節 鎌倉・南北朝時代
1 東郷荘
朱色の標柱
地頭分になっている西小垣の小山の上に朱色の杭状のものが描かれている。これについて西岡虎之助は、「荘の乾〈イヌイ〉(西北) 示〈ほうじ〉すなわ荘園の堺を標示する棒杭の立っていることは、これを注意すべきである」と指摘している(『前掲書』)。おそらく、松尾社領東郷荘の成立当時から設けられたものであろう。
黒田日出男は最近の論考で、この 示の位置を羽合町長瀬浜山に比定している。さらに、 示の朱色は神社の朱色と同じく神聖な色とみた上で、すぐ近くに発見された長瀬高浜遺跡(中世末まで墓地であった)の地を神領域に取り込むのを避ける意味で立てた 示ではないか、との見方を発表している。荘園絵図に見られる 示に、朱色を使った例はないといわれる(「荘園の境界と朱色の 示」『UP』一三五号所収)。前述したように、長瀬は北条郷に属し、東郷荘の域外とみられるが、墓地とは明確な一線を画したのであろう。
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