第2編 歴史 第2章 中世 第2節 鎌倉・南北朝時代 1 東郷荘 政治・文化の拠点は南部 このように寺社のほとんどは南部(東郷町側)にある。西岡虎之助の前掲論考では、「これらの寺社が荘園化の前からあったたものか、それとも後にできたものかは、明らかではないが、所在地はいずれも南部であり、かつ南部の荘全体に対する位置と地勢−山地であるという−より考えて、東郷荘の文化の中心地が南部にあったことがわかる。かの松尾社も前述のごとく南部にあり、領家の政所も同社もしくはその付近にあったと考えられるがゆえに、文化の中心地は同時に政治的統制力の中心地でもあったわけである」と、東郷荘の南部の地域を政治及び文化の中心とし、北部(羽合町側)は交通の中心地と想定している。 なお、絵図を見ると、帆をふくらませて3艘の帆掛け船が西に向かって走っている。黒田日出男の最近の論考によると、この3艘の船は、それぞれ領家・地頭及び一ノ宮の3者が日本海の海上交通権を掌握していることの絵画表現ではないかとの見方を発表している(「荘園絵図上を航行する帆掛船」東京大学出版会『UP』136号所収)。 |
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