第2編 歴史
第2章 中世
第2節 鎌倉・南北朝時代
 1  東郷荘

寺社は2寺・9社
 絵図には2寺・9社が表示されている。橋津の大湊宮を除いて、残る10の寺社は東郷町の町域にある。
 寺として木谷寺・置福寺の2か寺があるが、両寺の位置は現在のところ明らかでない。絵図で見ると、木谷寺は野花谷の奥の辺り、置福寺は別所の辺りと推定される。別所地内の奥に字「寺処」の地名があり、置福寺の参考地である。なお、小鹿谷に字「重福寺」があり、発音が近い。奥山に位置した置福寺が、後世この地に移転した可能性も考えられよう。寺社が移転する例はままあることである。
 町域内の神社は、一宮・加那子・志津宮・桂尾宮・守山宮・松尾社・長智宮・土海宮の8社である。松尾社だけが「社」となっているのは、別格の神社であることを表すものであろう。
 加那子は「宮」とは表示されていないが、建物に朱を使用してあり、神社と推定される。示された位置は松崎地内であろう。「カナゴ」と読めば、カナイゴ(たたら師の守護神)に通じる。また、現在松崎神社社務所の一角に祀られている「契〈ちきり〉神社」に比定することもできる。この神社はその昔、字「城山」(桜小学校の建つ場所)の中央に鎮座して、広大な社地があったと伝えられる。祭神は伊佐奈伎〈いざなぎ〉・伊佐奈美〈いざなみ〉の二神である。
 桂尾宮と守山宮は共に小鹿谷である。字「桂尾」、字「森山」の地名が残っている。志津宮は国信辺りに比定される。この3社は今はない。土海宮と長智宮は絵図にある位置からして、それぞれ埴見・長和田にあった神社であろう。「長智」は「長和田」の誤りとする説がある。
 なお、耳江にも鳥居が描かれているが、社殿は不完全で途中で描写を止めた感があり、社名もないのでここでは神社の数には入れなかった。



守山社の鳥居
守山社は神社合併により廃止となっている。

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