第2編 歴史 第2章 中世 第2節 鎌倉・南北朝時代 1 東郷荘 耳 江 耳江は、絵図上では門田の辺りであるが、今はない集落である。埴見に源を発する埴見川は、門田地内に入ってから「メノ川」、門田橋は「メノ橋」と、年配の人は古い呼び名で呼ぶ。門田に境を接して、長和田字「目見橋」の地名も残っている(付図の小字全図参照)。「メノ」・「メミ」は「ミミ」の転訛〈か〉と考えられるから、耳江は字「目見橋」の辺りに比定される。 門田の住人の氏神は、現在、門田地内にある北野神社である。しかし、昭和20年ごろまでは、北野神社の氏子であると同時に、一ノ宮・松尾神社どちらかの氏子でもあったことが知られる。現在でも、この家分けはほぼ記憶されている。このことにより、門田は氏神を異にする2つの集落により形成されたとみられ、その一方は耳江の集落であった可能性もある。耳江は東郷荘の下地中分後も領家分(松尾社領)であり、耳江の住民は野花の松尾神社の氏子であったと考えられる。 |
|