第2編 歴史
第2章 中世
第1節 中世の概説

関ケ原の役
 秀吉の死後、徳川家康と石田三成の対立が次第に激化し、ついに慶長5年(1600)、美濃(岐阜県)の関ヶ原において全国の大名を二分する、いわゆる天下分け目の争覇戦が始まり、東軍(徳川方)が勝利を収めた。因伯の諸将は、鹿野の亀井茲矩を除いて、西軍に味方したため、所領を没収された。羽衣石城は、出城・砦〈とりで〉・ゆかりの寺社などとともに徳川方によって焼き払われたといわれる。250年間栄えた羽衣石城に、南条氏は再び帰ることはなかった。
 さらに10数年後、大坂の陣で大坂城に入った南条氏及びその家臣たちは、城と運命を共にして滅んだのである。


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