第2編 歴史 第2章 中世 第1節 中世の概説 大永の5月崩れ 京都を舞台として始まった応仁の乱の余波は、たちまち地方にも波及した。そのころ、尼子氏は出雲の月山富田〈がっさんとだ〉城に拠点を置き、勢力の拡大をはかっていた。尼子氏は、尼子清定の子、経久の代に至って最盛期を迎え、ついに大永4年(1524)5月、本格的に伯耆進攻を開始した。経久自ら大軍を率いて、西伯耆の諸城を次々に攻め落とし、さらに久米郡倉吉打吹城を攻めて、守護山名澄之を下し、ついに羽衣石城に迫って城将南条宗勝を因幡に敗走させた。 この戦いで、古くから伯耆にあった小鴨・南条らの名族も四散し、由緒ある寺社のほとんどが灰燼〈じん〉に帰したという。これが世に伝えられる「大永の5月〈さつき〉崩れ」である。 |
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