第2編 歴史 第2章 中世 第1節 中世の概説 南条氏の入国と東郷荘の終末 羽衣石城は南北朝時代の中ごろ、貞治〈じょうじ〉5年(1366)南条貞宗が築城したという所伝がある。松尾社領東郷荘が下地中分されてから、約100年後のことである。その間、この地方の有力な武士が伯耆守護山名氏の援助のもとに、さらに松尾社領の侵略を進めたものと思われる。室町時代中期、山名教之が伯耆守護に任ぜられてから、彼の被官(家臣)が松尾社の代官であると自称して、東郷荘を押領したことが知られる。数百年続いた松尾社の東郷荘も、応仁の乱(1467〜77)のころには、ほとんど消滅していたと思われる。京都の松尾大社には、その救済を訴えている当時の文書が伝えられている。 |
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